海から近いカテドラル広場の傍のホテルに逗留した.昼間の気温は34度を越えてたか.暑かったな.夕方がくれば雲が東の空からやってきて,大粒の雨がばらっと降り出し,風は吹きぬけ気温を下げ,防波堤まで出ると真っ赤な夕焼けが広がっていった.

いわゆるハバナ旧市街地の形成は,スペイン人によるインディオの殲滅まで遡る.レアル・フェルサ要塞が海沿いに造られ,コロンブスに後を任された(奴隷商人である)伯爵たちの邸宅の建設が始まった.セイバの木の下で行われた近いと共にアルマス広場から始まったハバナの都市開発は,フィリップ二世による植民地都市計画法にしたがってその骨格ともいえる広場を中心とした都市システムが17世紀末には完成していたと思われる.旧市街中心部のプラザに張り出したアーケードシステムが様々な街路からの視点を受け止め,それが互いに連鎖するといった多心型の豊かな回廊空間を作り出したみたいだ.

20世紀がやってきて,ハバナビエハの城壁の外に,政治システムの更新と時期を同じくして大きな移動軸が外挿される.世界に影響を強く与えたアメリカ化は,車を前提にした街路空間をハバナにおいても生み出した.革命思想家でもあるホセマルティの像がセントラル広場におかれ,幅の広い街路建設が進み,鉄道がひかれた.カピトリオのようなシンボリックな建造物からプラド通りを抜けて海に至る軸線を重視した二つ目の空間システムをハバナに出現させた.

統治から,独立の準備はできていた.キューバ南部のアストリア地方や,ガリシア地方出身の富俗層たちの出資によって,競うように建てられた巨大建築(現在はそれぞれ博物館,演劇やバレエの劇場)に囲まれたセントラル広場の輝き.海へ向かう幾筋もの道路,椰子の葉摺れ,ヘミングウェイを惹きつけた社交空間,油田にさとうきびハバナは豊かになった.大陸における衝突と旧いシステムから逃れるように求めるように新しい住民がただぞくぞくとハバナを目指し辿り着き,混淆が生まれ,城壁を境に構築されていった新しい空間システムは旧い空間システムにもじわりと更新を迫った.発展する新市街の陰となったもうひとつの旧い都市空間では,大規模邸宅が買い取られ,かつてのスペイン総督邸宅を長屋化させたシウダテラが形成され,雇用は生み出された.

二つの空間システムが生み出したダイナミズムと独立と,ラテンの新しいものに対する好奇と知勇が,太平洋と大西洋,南米と北米を結び目たるハバナに混淆の力を確かに生み出した.ただその混淆は薄暗い酷い環境の中にあった.格差が生まれ,見えない支配が政治的混乱をもたらし,お決まりの軍事クーデーターがおきた.若者達はグランマ号にひっそりと乗り込み,弁護士の隙のない統率と,青年医師の強い意思と献身的な行動力が事態を決着させた.月の聖ドロテアと呼ばれていた植民地時代の要塞,アルメンダレス川の向こう岸から対岸を結ぶトンネルのハバナブルーに塗り替えられたいかめしい入り口.そうして半世紀が過ぎた.


未明に逗留していたホテルを出て,カテドラル広場から,左手にアルマス広場を眺めながら,メルカデス通りを南へぶらり歩く.リノベーションが進むプラザビエハを境に風景が一変する.旧ベレン修道院を抜け,サンイシドロ地区に入るころには大災害直後の廃墟のような街を目の当たりにする.公園の騎士たちの銅像,水の枯れた噴水,崩れかかった屋上の残像.経済封鎖は街を疲弊させた,残ったものは治安の悪い廃墟だった.

仄かに明るくなった廃墟の通りでひとりでぼんやりしていると,突然石畳を激しく打ち付けるような音がどこからか聞こえて来た.鉄のカーゴを押す,百人を越えようかという人たちがいた.力任せに鉄のカーゴを我先にと転がしている.アルメンダレス川に市を出すのだ.小さな教区の求心構造を支えるプラスエラには人が集まり始め,売店で列をなして多くの人々が集まり新聞を求め,大きな声で話しを始めた.防波堤沿いまで人はあっという間にあふれ出し,路上では子供達が思いつくままに次から次へと妙な遊びで大きな声をあげ駆け抜けていく.高層階の住民が窓から紐につるした籠を下ろせば宅配人が食べ物を籠いっぱいにいれて大きな声をかける.何人もの人が,声をこちらにかけてくる.無視しても,そっぽを向いても人なっつこい目で好奇心いっぱいの目で話しかけてくるのだ.日本ではもう見ることのも稀になったかもしれない,人というものの素直さ.どこか懐かしい気がした.

はてと思ったが,チェ・ゲバラモーターサイクルダイアリーズを思い出した.映画の中のチェは若い医学生だった.当時その病状の見た目から差別も強かったハンセン病患者のために,チェはなんの躊躇いもなく真っ暗闇のアマゾン川に飛び込んだ.屈託のない笑顔でハンセン病患者を抱きしめることのできる人間だった.生真面目で論理を重視するアングロサクソンアメリカでは見られない,眩しいまでのラテンの純粋さと情熱,未知なるものへの好奇心がそこにはあった.

人は廃墟から立ち上がろうとするとき,大きな力を発揮する.

チェとの別れから長く一人で指導を続けてきたフィデルは,昨年肩の荷を降ろすように議長の座を降りた.レアルが長である歴史官事務所は,1993年,143番法の制定により,ハバナの都市開発権限のを得た.彼らは,自分たちの混淆のルーツを逆手にとって,プラザシステムを生かした多心型回遊都市空間の修復作業を粛々とスタートさせた.エレベーション勝負だとか,作家性の建築だとか,ゼネコンの仕上げが弱いとか,六本木ヒルズのハイパーな(笑)視点場とか,ナイーブでひ弱な誰か知らない人のための意味不明な計画言語も,あるいは社会主義とやらにありがちなたとえば平壌のような強烈な統治のための建築も,フィデルの趣味に合わなかったのだろう.

関係性をデザインしろと口やかましい建築家は言う.しかし,ハバナの街並みが発しているエネルギーの源泉は,ただただ雑多で混淆とした街路空間文化とでもいうべきものだ.その雑多で混淆する街路空間文化は,ハバナで積み重なった都市空間の歴史と強く結く.街を歩くすべての人々の心にぶるぶるとした共振を起し続けている.街が発している無名の質の強烈な顕れがそこにはある.

生きている人の生業と切り離されたつくりものの風景に誰も感動するわけない.

ハバナの街を歩いていると,いたるところで,静かに動き回る歴史官事務所の長であるレアルを見かけた.修復事業は実に多くの雇用を生み出している.自ら大工や左官の学校までつくって,自分達自身の手で廃墟のようなまちから立ち上がろうとしている.自分たちの生きている姿,ずっと生きてきた,そして自分たち自身がこれからつくっていく町,そこに賭けられたエネルギーや努力に人は感動するんだって思う.

子供連れの家族を対象にした街歩きツアーに,休日に子供をつれて参加したマルタの笑顔が印象に残った.チェがつくった世界を今まで肯定する気になれなかった.だけど,行ってみてすこしだけその意味がわかった気がした.混淆を少し羨ましく思った.これからの時代がどうなるかなんて本当にわからないのだけれど,美しいとはこういうことかと,日本はどうかなと.そう思った.