地球近傍小惑星イトカワまで,7年の時間をかけて,はやぶさは帰ってきた.

昨夜,大気圏に再突入して燃え尽き成層圏で拡散したが,朝には雨と一緒になって地上に降り注ぐのかね.長い時間,ある一定の努力を続けた人々に結果が出るのはすばらしい.さまざまな技術を組み合わせ,多くの人が関わり,膨大な時間をかけて一つの結果を出す.そのことの凄まじさ,あるいは尊さ.

話は違うが,-アーバンデザイナー某氏-という研究会に出席した.某氏の膨大かつ多岐にわたる行動に触れられたいい研究会であった.アーバンデザインという分野が日本において立ち上がっていかない現状があるけれど,彼はまさにかつて1960年代に当時の工学部1号館界隈が目指していたものをはっきりとした像としてもう一度立ち上げようとしていたように感じた.今まではそうと感じなかったことをそうと感じるにはいくつかの理由があるんだろう.

誘われてサブミットしていた研究プロジェクトに予算が通った.リスボンミーティングに向けて準備に突入.時差があるのでわりとしんどい.昔の生活に戻った.

梅雨入りかな.雨が降っている.

一年たったので墓参した.研究が果たしていったいどういうものなのか,いまだにオレにはよくわからない.何を考え,どうして死んだか.俺はオレだしな.

心の奥になにかが,そこに黙ってただ佇んでおり,そのなにか,まぼろしのようなものが,よくわからぬが,自分を支配しているようでもあり,距離をおいて遠くからオレを見ているようでもある.あれは果たして何か.

深いところまで考え抜いていく.考え抜いて,こうだと思い.もう一度それが正しいか試す.そうすると間違っていることがわかり,別の方法を考え始める.3日3晩そういうことをずっと繰り返し,ひたすら繰り返しているうちに,あれは顕れる.

小さい頃,爺様と暮らしていた頃,オレは殆どものを喋らない子供であったから,爺様といえど会話が成り立たず,あの頃,オレの中にどっかりと居座ったあれは,放っておくと,ずくりと勝手にオレの中で大きくなった.

爺様はオレに適当な図面を描かせ,鋸で木を切らせ,兎に角いろんな何かを作らせた.爺様はじっとそれを見ていた.できあがると,と爺様はオレを膝の上にちょこんと乗せて頭をずっと撫でてくれたが,果たしてあれは,それで薄まり,しかしオレの中にあった.

あれをなんとよべばいいか,いまだよくわからぬ.

大観峰に行き,グランドキャニオンのような,サリンジャーライ麦畑でつかまえてのような風景だと,一面に広がるライ麦畑が広がっており,しかし,どこを走っているのかわからず今にも崖から落ちそうになる子どもたちがいるのではないかと,そんなことを思ってどこか不安になるようなそんな風景で,捕まえたかったのはなんだったか.the catcher in the rye.だっけ,,と懐かしいようなとりとめないことを思った.

ずっと今でも自分だけは覚えていることがある.誰も覚えていないと思う些細なことについて,そのたった一つの気持ちだけが,自分の支えである.なんの意味もないこともわかっているが.アホだな.

西の遠い空を眺めた.だんだん春らしく,鳥のさえずりや,木々の芽吹きや,そういうものがくっきりとしてくる.3月のこの季節がとても好きだ.