働きすぎか,,からだが調子がわるい.年かね.


「グラントリノ」:人種差別を繰り返し,東洋人をこきおろす悪態をつき,誰からも嫌われるようにして生きてきた.兎に角誰でもいい,他人を攻撃しないと,精神のバランスが保てないからだ.自分を人種差別主義者として貶め,他の人種を攻撃しないと,自分の罪の意識につぶされてしまう.

罪の意識は,,教会で懺悔したところで消えない.牧師なんぞが,俺の苦しみに対して何ができる,懺悔したら俺は許されるのか,そんな都合の良いことがあるわけない.俺は人殺しだ.俺の罪は俺のものだ.俺がかかえる罪の苦しみを救ってくれる者は,俺自身も含めて誰もいない.

心を許せるわけがない.気難しく,辛辣で,そうやって,自分の罪を贖う場所を一人ずっと探してきた.誰にわかってもらおうとも思わない,ただ贖罪の方法を探していた.とか.

イーストウッドが一貫して描いてきたのは,与えられた傷は自分でなんとかするしかないという物語だったように思う.ミリオンダラーベイビーや黒澤の用心棒でも同じだが,弱きものの自立,あるいは与えられた痛みにたする復讐を手助けする強い人間というプロット.しかし,彼は最後の映画で,副奏される苦しいありのままの自分を描いた.ような気がした.


爺様の顔が思い浮かんだ.優しい人だった.墓参りに行くか.