瀬戸風峠を登ると,松山を一望にできる.風が冷たい.灰色がかった緑色の小さな鶯を見かけた.この季節の鶯はまだ鳴かない.寧ろスコシ小さいメジロの羽の色の方が鮮やかなので目につく.背高泡立草の草叢の奥でチィチィとかわいらしく地鳴きしていた.寒梅でも咲けばそろそろ鶯も鳴くのだろうが.

内省するほど俯瞰するほど,自分自身がどこか見捨てられたような存在であると感じる,上滑りしないように気をつけつつ,絶望したなんていう言葉は遣いたくもないし,別にナルってるわけではないのだが,そいう感覚が強くなってくなあ,,まいった.

ここ数年,設計に携わったりモデリングをやっていることもあるが,広場に毎日通っては,気になってあれこれと人の動きを眺めては式を書き,式を書いては眺めて正月をすごした.

災害の起きた場所に行き泥まみれになって復旧のためのラインを確保してみたり,駅前広場の設計協議を粘り強く時には大声で怒鳴りあいながらひとつづつ条件を整えて引かれるべき線をひかれるべき場所に引いていくだとか,そういうインフラを作っていくような地味で骨の折れる仕事がある.

そういうめんどくさいわりに,報われず,別に報われようと思ってやっているわけでもなく,それから自分でやっていても果たしてそういうものの精度はいかほどのものかと思わぬでもないし,よほど研究に専念した方が成果の歩留まりはいいのだろうし,でわなぜそんなことに関わるのかとか思わぬでもない.

そのような行為は,自分の研究のスピードを停滞させこそすれ,速めることなんてないわけで,そんな暇があるなら式のひとつでも展開したほうがいいのだろう.

しかし一方で,どこかで聞いてきたようなネットに転がっているような他人の言うことを信用していない自分という人間がいて,そんなごっこ止揚を生むわけはないとか,いや別にとりたてて頑固というわけではないのだが,兎に角,皮膚感覚のない軽々しい言葉や議論や研究そのものを拒絶している自分がいる.

とりたてていうほどのことではないが,この世の全てに終わりがあって,研究にも人生にも人と人のつながりにも終わりはあって,いつと知ることはできなくても,一日一日,かならず確実にその終わりに近づいていると,思ったのには理由があり,それは思うにたるものではないかと感じた.

2009年がやってきた.