あなたはこうすべきである.あなたにはこういうことを期待しているのだから.そういう言葉をいう人の多くはコミュニティを守ろうとする人で,私が守るべき人だと思い,そういう言葉を放っているに違いない.

しかし,そういう言葉の外に置かれている人に対して,その言葉はあまりにも冷たい.そしてだからこそ,こうすべきだという文脈の精度が問われているとも思う.結局こうすべきだという文脈の実現において人間的なものは不要であって,だからこそ,そうまでして到達し得るものに意味がないのだとしたら,何のために今という時間を生きているのかよくわからないという話になる.いや間違っているのはオレであり,否定されているのもオレの行動だとして.しかしと思う.