犬塚勉の描く絵は,いわゆる景観画からは遠かった.美しいといわれる風景を描かなかった.疲れた人の癒しに典型を押し付けたわけでもなかった.

緑一色,色彩だけでどこまで表現できるのか,そう思ったとき,緑に幾重もの表情があり造形があり,濃密な風景があった.葉っぱ一枚一枚に葉脈があり,叢には土があり,そこから栄養を吸い上げ,葉っぱが肉体とすれば骨としての土までも体感した.体感したとき,同時に自分を虚とし,全身を通じて,ただ表現した.

仄かに暗い,絞り込んだ表現によって何かを表現しようとしていた.切り倒された木を表現するとき,中から光が溢れているように描いた.自ら山に入り,徹底的に沢を歩いた.水と岩から感じるスケールの大きさを絵にしようとするなら,岩を握り,水の中を進み,そこで感じられるものを表現するしかなかった.

自然のもつ圧倒的な奇跡的なあの感じを,つくづく美しい作品を描きたいとつくづく願い,そのためにすべてを捨てても惜しくないと捨て,風景に在るみえない命のかたちをただ求めていた.そして,血を流すような努力の果てに,何が見えたか.

暗き深き渓谷の入り口,絶え間なく落ちる水は輝きを放ち,目の前に横たわる石が行く手をさえぎり,ひとつひとつの巌の粒で構成されおぼろげな光を放つ崖が,大きなものを乗り越えたとき,絶え間のない命の輝きが見えてくるかのごときを描いた.

岩は明るく描かれ,渓谷を築き上げた礫と,緑で描いた背景を暗く塗りつぶした.しかし,どこまで入り込んでも描ききれない暗部がある.仄かに暗い,その深き渓谷の入り口.

犬塚は最後に谷川岳の尾根に辿り着き一人力尽きて死んだ.本物の絵を描くためにあらゆる努力をして,そのことだけに懸命に努力して,一生を終わっていった.写真では伝わらないネットでは届かない.言葉を喪う作品.