朝5時起動.気分悪い.今日ってなんだっけ,,,あーそうだ徳山と高松に行かなきゃならんのだった.東京駅へ移動.

12時杉に到着してパネリスト.

合併特例債みたいなもんでも兎に角真水がほしい,しかしそれにしてもまだ箱物.違うだろ.百歩譲って造るのをいいとしたとして,見かけだけいいデザインがほしい,そんなのぜんぜん違うだろう.じゃああなたたちが言ういいデザインとは一体どういうものか,造ったものに対しては皆さんは反応する責任を負うことになる.そいう覚悟はあるのか.もちろん,それは逆の言い方をすれば,何に反応したらいいのかぼやけてわからなくなるような無責任なデザインをしちゃいけないってことだ.

施工直後において,その箱物は赤ちゃんと同じようなものであって,東京のような立地のいい気楽な場所なら兎も角(いやそれだって採算ラインがもっと厳しくコントロールされているかもしれないが)いくらなんでもいきなり立って走り出したりはしないだろう.だとすれば何かしらの一見すると手がかかるプログラムのようなものをあと4年のうちにあわせて考えなくちゃいけない.結局のところ私たちに時間があるといえる状況ではない.

市民にしろ商店主にしろ何かしらの新しい反応がその新しい空間においてある程集約的且つ連鎖的に生み出されるようなものでなければいけない.一日に14000人いるビジネス客の動線をあと200m都心に向けるにはどういう空間的な仕掛けが必要で,10分以上は歩かないという地元の人たちに,不便なデザインを受け入れてもらうために,明快なルールを用意する,その上で,ちいさな公共交通の動線をセットし,その結節ポイントを限られた空間の中にシステマチックに配置する.あるいは駅前に体感する空間を顕すのに田んぼではないだろう.日本で一番海が近い駅なのだ.けれども新幹線と在来線によって分断されている.この海をどうやって感じさせればいいだろうか.そういう一見すると骨の折れることを描き実践していくような空間を考えたい.


でもって高松へ移動.打合せ.走り抜けて最終便.でもって大阪.