仕事.

他人のリスクはヘッジするけれど,自分のリスクをヘッジしないことを不誠実だと言われたことがある.もちろんそういうことを要求していい相手とそうでない相手があるのだろうし,そいうのは理屈じゃない.そういう行為をとるとすれば無意識の問題であり,その無意識がどうやって発生したかのほうが重要ではないかと,そのときは思った.リスクは経験をつめば見えてくるから,見えないフリをするのは難しい.だから目の前の人のリスクはできるだけヘッジしてしまう.

かつて,一方的にそういう行動原理で,こちらがすべてを先にいろんなことをこっそり済ませてしてしまっていたことがあり,そのことである人からずいぶん怒られたことを思い出した.面倒なことを先にこっちでやってしまったのだから喜んでくれてもよさそうなものだけれど,と思い,そういう反応に困惑したが,ああこういう純粋な人もいるのだとずいぶん驚いた.だからたぶんなにがいいたいかといえば,目の前の相手と向き合うということは実際とんでもなく面倒なことだし,きっと自然にそうなる関係というのがあるのだろう.単に一方的なナルシズムに浸っていたいということではなく,真剣に何かを一緒に高めていくというのは尊い行為であろう.

しかし突き詰めてみれば,自分のリスクも,相手のリスクも同じように感じることがどこまでできるかというのは難しい.なぜかといえば,自分と相手は対等ではないからだ.あるのものは体力に優れ,あるものは経験に勝り,あるものは才能で劣る.だから互いに見えているもの,できることは大きく異なり,そして極端な言い方をすれば一方的な関係が生まれる.互いに理解したうえで決断をしたと思いこみ,そしてそのことに納得してきた.しかし,現実には,おそらく私にはまったく見えていなかったことがあった.そう思えてならない.そのことを悔いた.