肉体的にキツくても厳しい環境に身を晒すことが好きだ.本来たぶん備わっていた感覚や能力が僅かでもよみがえってくるのがわかり,そういうことに喜びを感じる.だけど,「好きだ」などといってるうちは,本当の厳しさを経験していないのかもしれない.生きることに執着するほどの環境に置かれたら,そういう状況でも好きだといっていられるだろうか.と思う.

人間は醜いと書いた.醜いのは自分だろう.と思う.

結果が出るからいいのだ.という人は多い.しかし果たして本当だろうか.結果はぜんぜん出ないけれど兎に角まじめに完走を目指して練習を続けるトライアスロンが好きな人はいる.あるいは,結果がなかなか出ないけれども同じようにがんばっている人にempathyを抱く一流選手は多いと聞く.果たしてああいう気持ちはどこからやってくるものだろうか.勝つとか負けるとかではなく,他人からの賞賛もないし,寧ろ侮蔑の視線があったり,結果なんてさっぱり出ないことの方が多いけれど.それでもそれだけが全てではない,だから,,と思うけれど,そいうことはぜんぜん伝わらない.そういうことは自分で思っておけばいいことなのかもしれぬ.

それでも,その先に行きたくなる理由はなんだろうか.と思う.