ある本を読んでいて思ったのだが,役に立つかどうかばかり考えていると内部に歪が出るような気がする.
知識や式が役に立つのはかなり客観的なシチュエーションに限られる.にも関わらず自分がやってきたことやっていることで社会の役に立ちたいと願っている研究者はずいぶん多い.しかも役に立ちたいと願い,役に立たないからといって溝に捨てたものの中に真実があったりする.「知ること」が本当に役に立つために知るべきことがある.しかし,そいうことは徹頭徹尾理解したいというエゴに徹しない限り永遠に得がたいのではないかと思う.