採点確認中に,川の下流の専門学校の人とチャットをしていたのだが,googleよりも価値を持ってる専門家はそれほどいるか.という話になって,googleに勝つのに専門書を兎に角読むのが重要だという人は結局要約者(≒専門家)になりたくて,googleを嫌悪する人は要約者たる専門家としての役割を奪われるのではないかという危機感に駆られているのではないか.という結論に落ち着いた.

一級の要約者のトークは実に多彩でおもしろい.しかしテレビ的だ.紙芝居的なんだな.多少理解の淵まで自分の足で行ったことのある人なら鬱陶しいと思ったり,確かに比べてみるとgoogleの方が面白いと思ったりする.そいう行為は彼らが普段バカにしているTVのコメンテーターそのものだし.までも彼らにしてみれば,そんなこと思われるのは心外だし,だまってテレビを正座して見やがれということかもしれない.でもってこともあろうに,,テレビの時代だから○○をテレビにしようと叫んでいる.ような気が..

までも,,,解説を必要とするなら家で野球中継でも見てやがれ.とか.観客になりたいならドームにでもいって観客席で盛り上がればいい.とか.解説したり観客するくらいならプレイしやがれ.とか.いちばん楽しいのはプレイすることだろ.とか.

自分から,,ところであの研究をあっちの方にこうやってこうしようと思ってんだけど,,,,とかいって勝手に話し出す人は学会では減ったなあ,,それは結局まあプレイもしないで,矢鱈に監督者や解説者になりたい人が増えたせいのか,,,仕掛けの話とか,し始めたら人間おしまいな気がする.という話なわけだが.楽しそうにプレイしている人がいないグラウンドを前にし.泡トバして解説したり監督したり,んなグラウンドの未来を考えるのもさびしい話ではある.とか思わないでもない.