ideographicであることの効能は擬似的に理解しやすいということ以外に,見かけの蓋然性が高くてもよいモデルとは限らない場合があるからという点にある.しかしなんでもあたればいいというモデルは美しくはないのだけれどそれなりにあたるのが現実である.でももしそうだとすればnomotheticなアプローチから出てきたモデルがまったく現実を記述しえなくとも整合的ですっきりしているわけで,結局その中間くらいなideographicなモデルはなんだか寧ろ折衷なのでやっぱり美しくないのでは.などと思ってみたり.