カタルシスや虚栄心やコンプレックスを契機にある行為を行うのは悪いことではない.そいうものは人間である以上,当然あるべきものだし,そういうものが瞬間的に発現しうるエネルギーの強さが人を魅了する場合もあるように思う.一方で遠くを眺めて力のベクトルを制御する.そのために一見無駄とも思えるような合意を長い時間の中で丁寧に取り付けていく.そうしない限り目的地には辿り着かない場合がある.それは結局,そういう微分的な無軌道な行為の積み重ねが風景にはなりえないということだ.点は線にならないし,面にもなっていかないといってもいい.アメリカズカップのヨットの操作やオーケストラの演奏を思い浮かべるといい.点を線に,線を旋律に,旋律を聴衆に感動をもって届けるために何が必要か.何かを行うとき,その行為の向こうにどんな風景を見るかで,その形はまったく違ったものになるように思う.