会議.なんだかミニマックスゲーム.でもってゼミ.というか青葉山な人が濫入.で学生大盛り上がり.
ふと昔から理論研究を拒絶する人っていうのはどういう人かと思っていたが,なるほどこういう反応をするのかと合点がいった.自分の感覚にあわないという表現はカッコいいような気もするが,一方で他人がどうかは知らんがなという自己中心的な考えなのかもしれない.自分以外の人間の感覚を想定し確率的な変動を設定した上で期待値としての平均的な人間を基準に考えることで,目の前の現象はある程度表現可能だし,あるいはその想定の網の精度を変えることで,出てくる結果の範囲を絞り込むことは容易になる.そうすると別に観測や直感がなくとも,理論式は展開するだけでもたらされるさまざまな政策オプションの実行結果の範囲を限定することができる.わからないことを拒絶する人間となんだろうと興味を持つ人間がいるということがわかったのが収穫か.