C○ESTとか中身読むとウンコである.本当に老いも若きも腐ってる.

疲労がコンパイなわけだが,どうやって抜け出たモンかが不明.

昔から,自己の他人への愛/憎悪を,関係ない第三者に語るのはまったく無意味である.と思ってきた.しかし,そもそもそのような語りをする人間というのは第三者にとってそういう行為が何の意味もないということを理解していないとか,そいうことではなく,実は目の前の人間や愛を語る相手なんかではなく,そこに投影した自分自身の影こそを必要としているのかもしれぬ.

そもそも射影:projectionは,物体に光を当ててその影を映す行為であり,その影は自分自身の幻影に過ぎない.そして,その幻影すらなければ自分自身をどうやって確認すればいいか不定に陥る.であるからこそ,あれほどまでにさまざまに光があてられ関心が表明されるのだろう.だから問題は関心を表明される相手にあるのではない.相手などどうでもいいのだ.あくまで関心は自分に向けられているのであって,他人に向けられているものではないのだ.しかし,よくよく考えてみれば,幻影を必要としない人間なんているのかね.いるとしたらそいつはもっとも強い人間かもしれないが,同時にきわめて孤独な人間だろ.とか.

研ぎ究めるという行為は,ある面孤独であって,超然と世界を眺めきった中で生まれてくるものだ.どこか世間に馴染みきれない胡散臭さはそういう浮世離れした思考の立ち居地と,それでも誰か/何かと関わっていたいという妙なバランスが寧ろ生み出しているのではないか.影を必要とする限りにおいて,それは人間らしさの顕れであろうが,どこにもたどり着けないよな気がしたり,どこかに辿り着く必要なんてないのが人間だろうが.