artの語源は,ギリシャ語の「τεχνη techné(テクネー)」やその訳語としてのラテン語の「ars(アルス)」である.言葉のとおり,元来は技術がその意味としてあてられたもので,よい技術,美しい技術がartであるとされてきた.今でも研究の最新動向はstate of the artというし,論文でもそのように書く.

だから芸術の語源はテクノロジーにある.実際,よい技術,美しい技術という元来の芸術の意味は,ミロのビーナスやローマのコロッセオのように,おそらくある種の高度な技巧がもたらした美しさに対する感情の揺さぶりと関係しているのだろう.

芸術というのは,人の感情を激しく揺り動かすもので,そこには必ず表現者と鑑賞者がいる.表現の内容は自分の創造性にのみよっているとは限らないし,鑑賞者側が表現が前提としている様式の暗号を知らないと働きかけはうまくいかないものだろう.様式の暗号をうまく知っているものだけが感動でき,知らないものは感動できない芸術というものも多い.いずれにせよ,どんな表現者であれ,鑑賞者を想定しているし,なんらかの表現を目の前の,あるいはモニターの向こうの誰かに届けようとしている.

結局,いきつくところ,よい技術,美しい技術とは何かということである.エンジンも自転車もマイクロプロセッサーもWWWもUNIXも,技術として高度で考え抜かれたものである.受け手にしてみれば,技術が美しいなんてどうだっていいのかもしれないが,それでもその仕組みは美しい.そして,そういう美しさや技術の高度さとは無関係に,そいう技術はその本源的価値と強さによって社会にあまねく浸透していった.そこが西周が技術と翻訳したmechanical artの本質である.

よい技術,美しい技術にはあいまいで情緒的でライフハックでスイーツな考えは一切介在していない.だからこそ,そういう技術は強くて美しいし,世界を変えてきた.