羽田から移動.コート着てる人が急に少なくなったな.
ふと思ったこと.
アテンションエコノミー(注目による)」や「レピュテーションエコノミー(評判による経済)」という言葉があって,ページランクトラフィックに(そしてそれを広告に)かえることはグーグルが可能にしたわけだが,それは評判を経済に結節させたということに他ならない(もちろん次の変化は実空間に現れると思う).リアルにそういう技術が立ち現れたのは偶然だが,その方法は従来の組織のやり方とは大きく異なるように見える.評判が先で経済は後でもなんとかなるという空気とでもいえばいいだろうか.こういう技術者集団の中には,組織や立場よりも,自分のアイデアの具体性が重要だという文化がある.
これとは逆に,価値を生む為には,指揮命令系統のある組織の中で,何らかの「機能」を果たす存在として貢献すべきという考え方がある.官僚制であり,製造業であり,日本の政治である.いわゆる階層構造に従えというものだ.

で,このような考え方と間逆な考えを私自身は持っている.正確には指揮系統を重視する組織であっても突き詰めていけば,アイデアの具体性が重要になるという考えだ.しかし指揮系統を「重視」している以上,個人の自由や創発性は抑制されたものにならざるを得ない.で,そのことが国や経済の仕組みそのもののリプレイスが必要な時代感の中で大きなブレーキをかけているように見える.

にもかかわらず,個人の問題としてみた場合,案外若い人ほど階層構造の中で最低限の機能を果たすことに執着しているように見えるのが,不思議でならなかったわけだが,しかし,それは,そもそもそういう間逆な考え方がいくらカッコいいライフハック(笑,なものでも,市場においてリアルなものとして立ち現れていかない限り,既存の官僚制・製造業的な考え方の中では(当たり前だが)否定されることが多いし,ひょっとしたら,これから先も,いろいろ問題あったとしても,国会も官僚も今の仕事も生活の何一つかわらず明るい(あるいはせいぜいうす曇な)未来がやってくると思っているのかもしれないなあと思ってみたり.

よくよく考えてみれば,アイデアの具体性が問われるといことは,(自分探しにつも通じていて)かなり苦痛を伴うことなのかもしれない.年寄りが見通しの悪いアイデアを階層構造をたてに押し付けてくる現状を考えれば,「最低限の機能を果たし」ながら,年寄りの見通しの悪いアイデアとさして変わらぬ歩留まりの悪いアイデアを口さきだけで言い散らかすという無責任な行動は,実はリーズナブルな選択なのかもしれない.

でもつまんないけど.