今期4回目の博士公聴会

学位取得というと,60分間っていう長時間の発表とか,200本くらいの英語のpaper読んで初めて書いた体系的な既往研究のレビューとか,主査とマンツーマンで行った**要旨の校正とか,終わった後の飲み会で言われた一言とかいろいろ仄かな印象として残っているわけだが,,

中でもK先生とR先生から公聴会でうけた2つの質問は相当に根深いものだった.半ば禅問答じみたあの質疑応答は,私が学会で過去受けたどの質問と比べても(当時の自分のレベルを勘案しなくても)もっとも厳しいものだったような気がする.あのときの禅問答は論文として発展して賞もいくつかもらったし,その後の自分の研究アプローチを規定するものになったが,今でも明快な答えは出ていない.だから,というだけではないが,こんないい加減なオレですら,公聴会で審査する側になってからは,それなりに吟味した問いを予め考えるようにしてきた.

ま,それはともかく,自分の研究室でお世話になった先輩や何かと手伝ってくれた後輩の公聴会をまったく聞きにこないというのがどういう神経で行われるものなのかオレには理解できない,,結局自己の短絡的な(たとえばバイトが忙しいとか,サークルがたいへんだとか,起きれないとか,その程度の)損得の収支しか気にしないそういう姿勢が,自分と自分が所属しているコミュニティに,どういう結果をもたらしているかをまったく想像できないんだろうか,とか思うとまあ中途半端な殺伐感が漂うわけだが,,そういえば一度すげー怒ったことがあったのを思い出した.オレのツボなのかな.

知的好奇心が薄いとか,先輩を敬ったり後輩を心配するとかという心が欠如しているとか,利己的とか,いろんな理由はあるんだろう.しかし,そういう人はいくら優秀であっても一緒に研究しても楽しくないだろうなあ.