表現する.というのが最近のキーワードなのか.なんとなくそういうニュアンスの発言が矢鱈学生さんに多い気がする.

表現するのがすきなのか,表現している自分が好きなのか,「表現したい」などとオレは思ったことはないが,いや,そういえば小学生の頃だったか,クラスでやる学芸会の脚本を書いたことはあった.オリジナルな話を作った気がする.しかしああいうのは果たして表現といえたのか,まあ役者は表現するけど,脚本家は表現ではないような気も.だいたい,あれは,国語の時間にオレが書いた物語を読んだ教師から無理やり指名されたのだった.

人間の精神そのものの表現が,第三者にとっては美となって感じられるというような西田幾多郎っぽいことを教師は言っていたような気がする.あるいはある表現に同化することが人間の最大の美徳だとも.では,人間の精神そのものとしての表現ができなかった場合は,それは第三者にとって欠落した美となるってことかね.なんか傲慢.と反発した記憶がある.

恩田の「チョコレート・コスモス」という本がある.よい本だ.主人公の天才若手女優が独り舞台の最中に,リアルな劇中の光景の中の実際にはそこにあるはずもない一本のひなげしに触れたような気がして,電流でも流れたようにびっくっと我に帰るシーンがある.芥川の「戯作三昧」で最後に訪れる例の時間と同じだ.あの不思議な感覚.芸術と科学はその表現形態は大きく異なるが,やっているのは結局人間だ.そこに到達することは難しく,そしてそれを生み出す過程は驚くほど泥臭く,しかし,そういう瞬間がいつか必ずやってくる.古今東西変わらない.