暑い.夏休み最後の週末らしいが,34℃.

研究者と呼ばれる人種の唯一の仕事はまぼろしを振り切ることです.研究者が「専門用語」や「数式」を使うのは話を難しく見せるためではなく,まぼろしを振り切って真実を見極めるためです.とオレは信じています.

閑話休題

精神というのは恐ろしい.精神はありとあらゆるまぼろしを見せてくれる.しかし我々はその幻を通してしか世界を知ることはできない.しかしもっと恐ろしい真実とは…精神というもの自体がまぼろしだったということだそうな.

めでたしめでたし.

さてここで問題です.オレはどういう意味で「精神」という言葉を使っているのでしょう.

答えは…まあ書いてしまうのも野暮なので書きません.

言葉というのは魔物で,まぼろしです.だけど,その中には必ず一握りの真実が隠されています.しかしその言葉の指すものそのものが真実であることはまずありません.言葉が見せてくれるものは真実を含んだまぼろしにすぎません.

だけど,実生活の上ではそのまぼろしの上で生きていても何の問題もないばかりか,その方がめちゃめちゃ生きやすかったりします.

確かに生きて行くのに真実を知る必要はまったくないのです.宗教に心の安穏を見いだす人が真実を知る必要がないのと同じことです.ぬくぬくとした場所からまぼろしの優しさを語り,威勢のいい掛け声をあげ,気が向けばその場限りの同情をクレてやることはなんと幸せでしょう.真実を知ったって大して良いことはないのです.目の前に真実を突きつけられて喜ぶ人はまずいません.夏の日には海で遊んで,酒飲んで,仲間と楽しくやるほうがいいに決まっています.

今日は月が細い.宵の西空に薄い月が見える.