建築強度設計偽装事件のなんとかという会社の社長の怒声や,役人の答弁を聞いていて,未必の殺人的行為を行っているという自覚はなく,ただ,お金儲けしてどこが悪いのだとか,エライ人に言われて仕事をなくしそうなのでやったとか,私は関係ない,あるいは,皆やっていることだろうと,そういう空気が充満している.

10年前,神戸の大震災の時にも不正はあったし,発覚していたはずだが,あまりの倒壊家屋の数の多さに,マスコミも,土木関係者も,建築業者も,政治家もしり込みし,家族を殺され,住処を失い,住民だけが,ただ打ち捨てられた.それをボランティア先で見ていた.

JR西日本の尼崎転覆事故が起こったとき,心が押し潰されるようだった.が,JRの責任者のコメントやマスコミのコメントや報道を聞いていて,信楽での悲惨な大事故はマスコミやJRの体質になんらの責任感も,反省心も植え付けなかったのだなと思った.今も全ては変わってないどころか,悪くなってるのかもしれぬ.

建物の前に違法駐輪を繰り返す学生さんに,ビル火災が起こった時,自分が楽だからと置いた自転車が逃げ出す人の邪魔になって,焼け死ぬ人が出るかもしれないとか,そういうことが想像できないですか.といったところで,違法駐輪はなくならない.やめもしない.たまに注意すると鬱陶しがられるか,へらへら笑って中途半端な言い訳をいう.老いも若きも汚い大人そのもの,っぽい.

人の命を預かる職業の意味が軽くなったと,他人を批判するのは簡単だが,たいていのことは,自分たち自身がどうするか.にかかってる.と,思うけど.